2020年7月1日水曜日

TS-590無印の受信音を追求する

と、GタイプではないTS-590S(以下、TS-590無印)について、聴きやすい設定は無いかと試行錯誤、というかより良い聴き心地を目指していた(おおげさ)ところです。

TS-590無印の受信系の音質に関する主な設定は、
(1)DSPIFフィルタによる、IF通過帯域のスロープチューン的な可変
(2)受信DSPフィルタによる、AF的な音質の味付けの調整
の2つがあります。

こんな話は、2012年のTS-590無印が市場に出た当初にみなさんがけっこうやっていると思います。手が届く価格帯の中古の無線機を後年になってからいじるような私の場合、その当時の論に触れる機会が既になく、webに残っている識者の方々の記事を読むくらいがせいぜいなところが現状です。
で、しかも、私がここにこのようなことを書いても、これが世間の目に触れることもないわけですがw

(1)のDSPIFフィルタの可変については、スロープチューン的なツマミを可変して上下の帯域を絞ることができます。これは音質にも直結して、絞ると鼻つまみ的な音になります。広げると広くなったような音になりますが、TS-590の場合はいっぱいに広げても聴きやすくなるかというとそうでもないです。ただし、IFを通過する周波数を上下からばっさりと切れるので、帯域内に混信がある場合にはこれを切る手段としてはとても有効です。これは素晴らしいと思います。さすがIFDSPというやつです。
私の場合、TS-590がA/Bと切り換えて持てる二つの設定値を、A:100Hz-4000Hz、B:100Hz-2800Hz(つまり、通過帯域2.7KHzでダウンコンバージョンを使いたいとき ※ )としています。
Aの場合はながら聴き、Bの場合は混信があるときなど、少し真面目に聴きたいときに使います。

(※)21MHz以下のクラシックなアマチュアバンドの場合で2.7KHz以内を通過させる場合にはダウンコンバージョン(11MHz)の回路を通り、それよりも広い設定の場合にはアップコンバージョン(73MHz、10MHz)を経てということで、通る中間周波数によって(メリットデメリットを含んだうえで普及機にどれくらいコストをかけられるかということも踏まえた上で)相当(それにふさわしいレベル)の性能が発揮できるというシロモノです。
このあたりは TS-590 徹底解説集 を読んでみて下さい。特に、PDFの7ページにある、「1受信 1.1コンバージョン方式」を読むと、なるほどねということが書いてあります。

(2)については、受信した信号をオーディオ的に加工して聴きやすくするものです。
TS-590無印の場合は、「切」「ハイブースト1/2、フォルマント・パス、バス・ブースト1/2、フラットがプリセットされていて、他にPCをUSBで接続した上で設定できる「ユーザ設定」を使うことができます。
TS-590無印の購入当初「受信した人の声が前に出てこない、聴きにくい」という印象を持ち、未だにこれを払しょくできていません。購入後は「切」の状態で長く使っていて、これで人の声が聴きにくいと騒いていたのですが、フォルマント・パスやハイブースト2(Hb2)にすることにより改善しました。無線機を通じてよく聞く声の周波数帯域は、これらの設定値で増幅(または減衰しない)ことで強調できているようです。
少し前に気が向いて、ファームウエアをアップデートした際に、ARCP-590(ケンウッドが未だに提供し続けてくれているありがたいPCコントロールソフト、これはGタイプ用ではなく、「無印」用です。)で、プリセットのイコライジングのカーブを見てみました。

まず、良かったハイブースト2(Hb2)です。












フォルマント・パスはこんな感じ












フラットはこんな感じ












「切」、オフはこんな感じ。












驚いたのは、切っている状態と、「フラット」は違うということです。聴感上確かに違うように感じていたのですが、メニューの一番最初と後ろで、スイッチ一回押しでパタパタと比較できない位置にプリセットされていたのでこんなに差があるのに気づきませんでした。
道理で、人の音声帯域が含まれる(と思われる)高い周波数を減衰させているんですから、「切」では聴きにくいはずです。

私のユーザ設定はこれ。ハイブースト2(Hb2)を参考に、少しだけ弄った状態です。上の3つのバンドはこの画像では絞っていますが、その後設定を見直しをして、一番上まで上げてあります。












このユーザ設定と、(1)の「IFDSPをいっぱいに広げて使わないこと」の併用で、ずいぶんと聴感は改善しました。
 
もう一つ、書き忘れていたのですが、590本体のスピーカではなく、
(3)外部スピーカ(トリオSP-70)で聴くこと
でさらに改善しました。このTS-600や700用の古いスピーカですが、TS-590無印(Gタイプでも良いと聞きました)と相性が良く、(1)(2)に加え、これで聴くと了解度がかなり向上します。(1)(2)(3)の合わせ技を駆使すれば、TS-950SDXに迫れるかもと言っても言い過ぎではないでしょう。
 
これらのおかげで、(以上赤字部分、2021年2月24日追記)スイッチを入れて、ゼロインして、いきなり眉間にしわを寄せて信号に集中することになって、すぐに疲れるという状況からは脱せたような気がしています。
これなら、TS-950SDXの455KHzだけ通す6kHz幅の受信音とそん色ないところまで行けるかも?と思って、本日テストをしてみたところなのであります。(続きます)

2019年9月13日金曜日

IC-SM2を使うのだ。

ハムフェアで見つけたお宝のIC-SM2を使うべく、早速配線をケンウッド8ピンに変更しました。

全てが完了するまでの四苦八苦を記録のために記しておきますw

1段階:
アイコムの「エレクトレットコンデンサマイクはマイクのホット側に電源が重畳されている」という仕様を確認。まずはとりあえず使えれば良いということで、ケンウッドの5番ピンからの+8Vとマイクのホット側をショートさせて、IC-SM2のマイクアンプとエレクトレットコンデンサマイクユニットの動作を確認。とりあえずマイクの体をなすことに安堵。
ただし、こうするには8Vをマイクアンプが内蔵されているIC-SM2の台座まで引っ張ってくる必要があるので、マイクケーブルをオリジナルの3芯から手持ちの8芯のもの交換した。

2段階:
この状態ではケンウッドのマイクのホット側に重畳された8Vが無線機に戻ってしまうので、それは不味かろうと、直流をカットするために電解コンデンサを入れる。手元に47μFのものがあったので、それを適当にマイクのホット側と8Vをショートする(無線機側から見た)手前に入れる。しかし送信するとハムる。
このあたりで、冷房下での作業が原因か、風邪をひく。

3段階:
ハムの原因は二つあると思われ、一つ目は電解コンデンサによる直流カットがうまくいっていないこと、二つ目はマイクのシールドがうまくいっていないこと(繋がっていればよいだろうと適当な配線をしたので、芯線をマイクのホット、芯線を取り巻くシールドでマイクのコールドとしていないからと想像)とした。
風邪ひきの中、頭の整理。

4段階:
二つの原因のその一、コンデンサの極性が反対だったことに気付きw、無線側から見て手前がプラス、反対側がマイナスと改めた。しかし、ハムは改善せず。手で持つとハムが治まるなど、安定しないのでマイクのアースに不備があるのではと想像。
風邪は治っていないが、作業をする。

5段階:
一晩経って、それではともう一つの原因を解決するため、マイクのホットとコールドを適正なケーブルで接続すべきとして、マイクケーブルの半田付けをやりなおす。ハムは治まった。しかし、音が悪い。ダイナミックレンジがエレクトレットコンデンサマイクとは思えないほど狭い。そうだった、IC-SM2は音が悪いのだ。40年前もそうだった。
送信テストする声が風邪ひきの鼻声である。

-----ここまででハムフェアから6日経過-----
6段階:
ハムフェア終了から最初の土曜日午前中、狭い音(プラス風邪ひきの鼻声)で送信しつつのローカルラグチューでヒントをもらう。
「1.エレクトレットコンデンサマイクのユニットを交換すべし、2.アイコムの内蔵アンプは取り去って直結で使え、3.台座裏側のボリュームは便利だが使わない、4.フレキシブルパイプの先の送話口の先は、薄い部分を傷をつけないようにテープや布で保護した上でラジペンでネジの反対方向に慎重に回すと外れる」

7段階:
そして午後、作業に入る。エレクトレットコンデンサマイクのユニットは手持ちが二つ。一つは3極(マイクのホット、コールド、電源)、もう一つは2極(マイクのホットに電源+が重畳、コールド)。当然ながら簡単な3極のユニットを採用する。そして、マイクアンプのユニットを取り去り、配線終了。自分で「あーあーあー」とやって隣の無線機でモニタをしても、鼻声であるが明らかに音が広い。
これで完了である。これで完了である!(涙)


全てが完了し、ケンウッド仕様に配線変更され、更にスポンジ風防を装備したIC-SM2であります。そういやIC-SM2を新品で買ったときにスポンジ風防が付いてましたね。色もこんな感じのグレーでした。開局当初にIC-502で出ていた当時のことを思い出します。
実はこのスポンジ風防、IC-SM2には有効で、このマイクは正面でしゃべると10~20cm離れていてもけっこう吹くんです。なので上に書いた試行錯誤と並行して、通販で探してたのところでした。
ちなみに寸法は、【高さ4.8cm、幅3cm 内径1.5㎝ 深さ3.8cm】のものを選びました。これでぴったりです。

ついでにMC-90のものも揃えました。こちらは【高さ:約72mm、内径:約35mm、外径約(60~65)mm】です。こちらもぴったりです。
両方とも【】の中の内容で検索すると商品がヒットすると思います(2019/9/13現在)。
そして、やっと風邪が治りつつあります。

2019年9月12日木曜日

ハムフェア2019

2019年は8/31-9/1の土日となったハムフェアです。
今年は実のところ明確に欲しいものがなくて、お祭り自体を楽しもうという趣旨で土日ともに行ってきました。

まず初日。一般展示ブースで楽しいものはないかなと歩き回ってみると、早い時間ではクラニシのNT-616が複数5000円で出ていました。これはお買い得。午後にはもう姿が消えてました。

でも最初に忘れずにJARLにカードを出さなきゃということで、メーカーブースを横切ってJARLのコーナー方向に歩くと、買わねばと思っていた「BCLマニュアル」が山積みでした。即購入。カードを出しに行かないと忘れてたところでした。
そして、途中のCQ出版社ブースで旧型機のメンテナンス本、TR-1300とVL-1300の記事があるものを購入しました。古いリグを単に磨く趣旨の記事ではなく、半固定ボリュームの位置や調整について書かれているので今後の参考にしようかと。

あと、これも早い時間でしたけど、ハイモンドの電鍵HK-704の未使用品と思しきものが安かったので、これは即買いでした。他にも数種類ありました。OMの引退処分品なのかな。
70年代のトランシーバを見かけると楽しくなりますが、今年は、JARDの新スプリアス保証リストに記載されない機種は極端に安くて誰も見向きもしないか、そもそもあまり見かけないという傾向がありました。
そろそろお昼かなという頃、地面に直置きのジャンクっぽい出し方の中に、かつてIC-502シリーズとセットで売られていたIC-SM2があったので、百円玉数個で購入、これが今年のわたし的目玉でした。
書籍とお宝
MC-90の両隣に並ぶお宝
お昼にちょっとだけビールを飲んで、午後はペースを落としてぐるぐる回って、会場の雰囲気を満喫し、大井町の飲み屋さんへ、そして大井町からの始発電車で目をつぶるともう地元駅でした。


二日目。一日目は仲間と一緒に回ったのですが、二日目は来年はひょっとしたら会場確保ができずに開催が無いかもしれないし、一人で祭りの余韻でちょっとだけ回ってみようと、午後の早めに短時間滞在のつもりで行ってきました。
初日のTH-59に代わって、二日目のお供はTR-2300です。この手のポータブルトランシーバを会場に持ち込むのは、高校二年生のとき、晴海にIC-502を担いで行って以来です。
今日はこのTR-2300で、会場内でQSOをしてみようと思います。
休息スペースの白い机の上で記念局の信号を受信中のTR-2300(わたくしの第一送信機)
ロッドアンテナが折れるのが困るので、純正ヘリカルホイップに挿し換えての受信です。まずは8J1HAMが出ていたので、パイルが治まってから呼んでみると一発で応答。会場内からなので当然だと思うでしょうが、会場内からハンディ機で呼ぶライバルが多いんです。無事QSOの後、メインを聴いていると別の記念局のCQが聴こえます。サブチャンネルに移ったところですかさず呼ぶと、QSO成立。会場内でQSLカードを発行してもらいました。
開局当時のハンディトランシーバを持ち込んでハムフェア会場でQSOをするという重要なミッションが終わったので、あとは少しだけ会場をブラブラして引き上げました。

二日目の午後、がらんとしたイベントスペース。祭りの終わりの雰囲気ですね。

2019年8月22日木曜日

夏、BCLラジオが欲しかった季節

夏というと、小学校のころの、7月下旬に出たラジオの製作の最新号を何度も読みつつ、BCLラジオが欲しいと願いながら長い休みを過ごしたことを思い出す。いや、ある時期ではBCLではなくて無線の免許を取ってRJX-601でQSOしたいとか、そういうことを願った夏もあったのだけど、今回はBCLばなし。

私がBCLというものを知ったのは、スカイセンサー5800のテレビCMをみたとき。
5800の発売は1973年4月で、同機の初期のCM、ラジオ・オーストラリアのワライカワセミ版で刺激を受けて、その後にBBCのビッグベンの鐘の音版を見たという記憶がある。
その当時、BBCのシンガポール中継の日本語放送が7180kHzでやっていて(懐かしのラジオの製作のラ製データシートを参照) 、父親の部屋にあったFT-101のAMモード(ただしSSBフィルタで聴いていたので音が悪い)で聴くことができたのだが、子供にはそれではつまらなくて、FT-101では聴けない9MHz帯や11MHz帯のラジオ・オーストラリアを自分の部屋でBCLラジオで聴きたかったのであった。

しかし、私はそのCMを認識した後、時期的には小学校4年の1974年の夏から秋の時期に、東芝サウンド750GTVを親から買ってもらっていたのだ。
このサウンド750GTVを選んだ当時の心境を思い出してみると、
・5800は〇〇くんの父親が持っているので後追いはつまらない。
・自分の部屋にテレビが欲しかった。しかし親からみたら自室にテレビとなると全く勉強をしなくなる恐れがあるとされた。まあ音声だけなら許されるのではないか。
・サウンド750GTVでは短波の3.9-12MHzを聴けるのでBCLだってできるだろう。
・3.9MHz帯や7MHz帯のBCLならFT-101で聴けばよいし、ラジオよりも安定して聴ける。
といった判断があったと思う。
今から思えば、値段もほぼ変わらない5800や当時既に併売されていたサウンド750GSを買っていれば我慢することなくBCLをできたはずなのに、当時の私はなぜかテレビ音声を優先したのだった。(当時頭を支配したと思われる「全員集合を聴いたら楽しいよね」という発想は誤りで、土曜日の8時台はお茶の間のテレビで全員集合を見てたし、そこにはサウンド750GTVの出番はなかったのだ…)

で、案の定、買ってもらった後は、画面なしの音声だけのテレビではつまらなく、12MHz以上の周波数は聴けずで、BCLラジオにすればよかったーと後悔する日々を送ることになった。
でも、BCL用として使うには物足りなくても、両親の帰省先についていったときに、夜になってからロッドアンテナを伸ばして短波帯を聴くと、自宅では聴けない数の放送局がバンドいっぱいに聴こえて感動したものだった。

私がBCLラジオを手に入れたのは1977年になるのだが、その前年、クーガー22001010の発売があって、2200の値段の高さに遠慮してより安価な1010をねだったことがあった、しかし、ラジオばっかり欲しがってとそれは却下された。
そのときになぜ欲しいのだと訊かれ、持ち歩ける小型のラジオが欲しいのだと(本当の本当はクーガー2200が欲しいのだが、適当なこじ付けでそう言った。小型のラジオが欲しいのは事実なので本音でもあり…小型というのなら本当はICF-7800が欲しいと思っていた。)言うと、代わりに秋葉原のラジオセンターの中の店で買ってもらったのが松下RF-527だった。
このRF-527は中波とFMしか聴けない小さなラジオだが、小学校高学年当時に毎月のように行っていたキャンプに持って行って聴くのに重宝した。

そして待ちに待った1977年の秋、ついに手に入れたBCLラジオがスカイセンサー5900だった。クーガー2200のほうが性能が良いのはわかっていたが、やはり3万円を超す値段に恐れをなし、5900を選ぶことに。
青い箱から出して、ラ製で飽きるほど眺めた筐体の実物に感動し、同時に買ったキャリングケースに入れつつも、ケースに入れると筐体のデザインが隠れてしまうので脱がしてみたりと、しばらくはケースに入れたり出したりしていたことを思い出す。あと、スイッチを入れて受信した音の印象が「こもった音」だったのもよく覚えている。

ここから先は夏休みでも夏でもない話になるのだが、5900の、というよりBCLラジオの一番の思い出は、電話級の免許状が来て局免許を申請している最中だった中学2年の秋、高崎線から直通の上越線各駅停車(上野発長岡行き。当時は上野発6時台、14時台、23時台と一日3本あった。)で埼玉から新潟まで行ったときに、窓際に5900を置いて車窓を眺めながらヘッドフォンで聴き続けたこと。
地元駅から電車に乗って、最初は県内に送信所がある中波放送を聴いてみる。NHK第一(78年当時はまだ川口にあった)、TBSラジオ(戸田)や文化放送(川口)が強い。そのうちにそれらが聴こえにくくなり、NHKFMの前橋放送局が聴こえにくくなると、SW1に切り換えてNSBを3.925MHzと6.055MHzとを切り換えながら聴く。
埼玉の自宅ではフェージングを伴って聴こえる電波が、群馬に入ってしばらくしたあたりまで行くとSINPO=55555で安定して聴こえていた。千葉県長柄から送信している電離層反射の電波は、埼玉で聴くよりもある程度の遠さがあったほうがよく聞こえるということを知識では知っていても実際に経験したのは面白かった。

でも、この後は局免許が来て自分で電波を出し始めてしまうので、念願のBCLラジオを満喫したのは約1年だった。小学校の頃から頭の中に温め続けた期間が長かったのにもかかわらず。

2019年8月2日金曜日

TH-59とTH-89

 久しぶりにハンディ機の話題です。TH-59及びTH-89の両機ともに1995年モデルだそうです。
 私がこれらを入手したのはもっと後です。2002年以降しばらくの間1200MHzのトランシーバを集めるのに執心していた時期があって、当時は同好の士がけっこういて値段が高かったのを覚えています。

 当初はTH-89を手に入れて、不具合を直してもらった後、BNCで使える短いアンテナを探してみたりと楽しんでいました。
 TH-59はある年のハムフェアで見つけて、手ごろな値段だったので即買いをしました。運よくキーパッドDTP-2が取り付けてあるモデルで、今となっては貴重です。こちらもSMA用の短いアンテナを探してつけています。
 この両機を比べてみると、TH-89のほうがTH-59よりも一回り大きく、厚みがあります。なので、TH-59の入手後はハムフェアなどで仲間と連絡をとりながら歩くには、コンパクトなTH-59ばかりを使っていました。

 そろそろハムフェアだな(気が早いw)ということで、約1年ぶりに動作の確認をしようとしまい込んでいた箱から出してきてみると、TH-89を入れているソフトケースが加水分解でベトベトになっています。これはまずいとケースから出して電池を入れてみると、無事動作しました。ほっとして、濡れタオルで清掃後、記念撮影です。
 TH-89のソフトケースの加水分解は2度目で、最初はぴったり被せるタイプのSC-42(単三電池用の電池ケースBT-9対応)を使っていたのですが、これが2年くらいでベトベトに。仕方ないので大雑把な汎用ソフトケースSC-40に入れていたのですが、こちらも10年くらいで加水分解です。
 TH-59で使っているBT-9対応のソフトケースSC-38は少し怪しいながらもここまで耐っているので、TH-89内部から加水分解を促進する物質が出ているのでしょうかw
 この手のハンディ機って、同じ1200MHzのTR-50のようなポータブル機とは違って、自宅で使うというシチュが無いですから、ほんとハムフェアみたいなイベントでしか電源が入らないんですね。
 というわけで、TH-59を入手後にこちらばかりを使っていて、TH-89のほうは数年電源も入れずにいた罰があたったのでしょうか。今年はTH-89を使うことにします。

参考にこの2機種のTipsを。
(1)電池ケースBT-9で運用する場合、エネループを使うとTH-59は電圧不足で送信するとRFメーターが点滅します。TH-89の場合は大丈夫です。ある年のハムフェアでTH-59にエネループで持って行って、あわてて単三電池を探し回ったことがありました。
(2)純正のアンテナは長いので、短いのに交換するとスマートです。
TH-59の場合は、ナテックのH35Sがおすすめです。第一電波にもSMA対応の短いホイップSRH805Sがありますが金色のリングが入っています。金色がちょっとアレな感じがする場合にはナテックです。ただし、ナテックのこのホイップは430MHz/1200MHz用ですので…おそらくマランツC601が発売された頃にそれ用に販売されたのでしょう…144MHzでは使えません。たぶん。
 TH-89の場合は、第一電波のRH-3がおすすめです。画像では指でこすった結果消えてますが、エレメント部分に青いレタリングで商品名などが書いてあります。これはアリかなと思います。
(3)一般的なQSOであればSMC-33や34のようなスピーカーマイクを使うのが良いと思いますが、お尻のポケットにハンディ機を挿して会場内を練り歩くということであれば、特定小電力機などで多く使われた、ケンウッド純正のイヤホン付きタイピンマイクのEMC-3をおすすめします。
 特定小電力用のイヤホンマイクでケンウッド用とされている安いものがあります。そのような製品の中になぜかマイクプラグとイヤホンプラグの間隔がTH-59/89とは違って挿せないということがあったのでご注意を。おそらく近年の特定小電力トランシーバUBZシリーズには合うのかもしれませんが、TH-59/89では使えない例がありました。

2019年7月30日火曜日

米国の同期のみなさんの動向はどうなっているのだ。

 私が東京VEチームの試験で最初の米国の資格(エレメント1と2でTechnician Plus)をとったのが2002年のこと。KC2J*Qが割り当てられました。その翌月、名古屋に出張になったので、宿泊を一日延ばして名古屋VEチーム(現在は活動停止)の試験でエレメント3と4に合格してAmateur Extraになりました。KC2J*Qは一度も運用しないまま、Aで始まる5文字のコールサインにアップグレードし、AB2**となりました。その後、渡米する機会はあったものの、現地で電波を出す機会なく、英語もいまいちなまま、今日に至っています。
 それから15年以上経過して、最初に割り当てを受けたKC2J**の同期(と勝手に呼びますが)の26人のみなさんは今どうなっているのかに興味をもって、調べてみました。
 この手の情報は日本よりも公開範囲が広く、FCCのULSのライセンスサーチで簡単に調べられます。画像の上にあるとおり、調べたのは今年の5月下旬です。(系統立てて検索するのではなく、単純にコールサインを入れて行う検索はこちらです。)
 黄色の17人はそのまま現在も有効です。TechnicianからGeneralになった人もいますが、コールサインはそのままです。
 また、緑色の5人はVanity Callsign Systemを使って1×3(W1ABCなど)になった人です。1人は、この1×3のコールサインが気に入ったようで、Extraになった後もそのまま使っているようです。また、1人は1×3のVanityを2回やっていますね。
 色のついていない人は、Expired、失効した人です。4人います。一人だけExtraになった上で失効している人がいますが、それは私ですw
 26人の17年後の生存率は84.6%です。まずまずではないでしょうか。日本の場合と比較する場合、日本の5年に対して米国の場合の免許の更新は10年に1回なので生存率は日本に比べて高いはずです。その間日本では2回免許の更新があります。2回のフィルタって大きいですね。そのあたりは考慮しないといけません。

 ここからは余談です。
 しかし、なんで私は失効したんでしょう。ダメですね。10年経過の少し前に、最初に借りた住所を使えなくなってしまったので、次の住所をどうしようかと考えていたのですが、その後すっかり忘れていて、ある日気付くと、10年経過後に2年ある復活可能期間を過ぎていいて、何もない状態になっていました。
 2014年にFCCが失効者に対する救済のルールを改正したので、さっそくこれに乗ることにし、横須賀・逗子VEチームの試験でエレメント2を受験し、無事復活することができました
 ただし、単純に旧コールサインに戻れるわけではありません。私の扱いは、2014年にエレメント2を受けた際の住所である7エリアでのExtraの新規合格者と同じです。受験時にFRN(FCC Registration Number)を申告することにより、失効したライセンス保持者であることを示して、エレメント2合格時に結びつけをしてもらうのですが、それであってもコールサインは新規に7エリアでExtraとしての順次指定を受けます。元の2エリアのコールサインに戻りたければ、Vanityを使って、空いていれば戻れるという仕組みです。

 今のところ、新たな7エリアのコールサインを指定されたままになっています。Vanityにすれば戻れるのはわかっているのですが、特別な並びでない、単なるAB2**に戻ったとしてもこれがVanityで指定されたものとわかるのが少々恥ずかしいです。
 FRNで検索すればすぐにわかるのですが、2002にTech+でKC2J**、すぐにAB2**、そして失効、復活したのが7エリアで、AF7**であるという私の履歴が簡単に表示されます。その上VanityでAB2**に戻ったとなると、それも記録されて表示されるわけですが、こいつ何やってんだwということがわかってしまいます。
 順次割り当てで指定されたコールサインはRadio Serviceの欄が「HA」と表示されます。Vanityの場合はここが「HV」となって、さらに個別のコールサインを表示させるページでは、ご丁寧にコールサイン欄が「AB2**(Vanity)」と表示されるんですね。
 マヌケは承知で戻るか、それとも今のままにするか。どうしましょうね。

2019年7月22日月曜日

JL1はいつから割り当てが始まり、終わったのか。

 少し前に元林さんが公開されていた、完成!Excelコールブックを眺めていたら、JL1はいつから割り当てが始まって、いつ割り当てが終わったのかについて興味が出てきました。

 早速元林さんのblogのリンクからExcelシートをダウンロードし、JL1の割り当てが始まった昭和53(1978)年から切りの良い5年毎の免許の切れ目というか免許の日を特定します。
 かつて、平成に入る少し前にJL1は一度再割り当てが行われましたが、一度も免許を切らせずに継続しているみなさんのおかげで、じーっとExcelシートを見ていると、画像では黄色でマーキングしていますが、平成30(2018)年…ってことは40年経ったのか!!!…の7月20日に免許になったみなさんが、浮き上がって見えてきます。
 昭和53年7月20日、この日は、Excelで特定できるJK1XV*からJL1AD*の範囲と、たぶんその前後の数局が免許になりました。より発音のしやすいJK1とJL1の明暗(暗なのかw)が分かれ、以降、1万局を超える(個人局は16142局)JL1という発音のしにくいプリフィックスの割り当てが始まった記念すべき日です。

 私にとってのそのころは、ちょうど電話級の講習会…夜間コースだったので3カ月くらい講習期間がありました…の修了試験が行われた頃で、既にIC-502で50MHzSSBを夜な夜なワッチをしていたのですが、JK1がついに終わりそうということで、やはり自分の割り当てはJL1になるのか、と少し残念ながらも、早くコールサインが決まって電波を出したいとワクワクしていた時期です。
 で、私の免許の日は11月25日でした。カレンダーを遡ると土曜日で、当時の郵政省は完全週休二日の導入前であったことが想像できます。自分の記憶では月曜日に学校から帰ってきたら「無線局免許状在中」と書かれた封筒が届いていて、それを開いてすぐに電波を出した記憶があります。実際の開局は11月27日月曜日でした。
 私自身は、一度免許を切らせているのですが、セカンドレターまで同じの同期のみなさん(と勝手に呼んでいるのですが)の中で、2局ほど11月25日免許の人が一度も切らさずに更新されているので、後から自分の免許日を思い出すためのきっかけになりました。

 余談はまたの機会として、Excelシートをじーっとにらみつける作業を続けると、昭和54年4月3日にExcelで特定できるJL1XE*からJM1AM*の範囲とその前後の割り当てがあって、JL1の割り当ての第一幕が終わることがわかります。そして、この日を境にJL1とJM1の明暗wが再び分かれます。
 両プリフィックスともに、そのまま読むと発音のしにくさは同じようなものですが、パイルアップのときなどにフォネティックコードの違いで「ジュリエット リマ ワン」と「ジュリエット マイク ワン」とでは判りやすさが全然違うので、JM1のほうが恵まれています。
 しかし、JL1って1年もたなかったんですね。意外でした。1エリアのプリフィックスがいつごろ割り当てられたかについては、元林さんのPrefixのページに記載があります。

 これまた余談ですが、当時、このJL1なにがしが気に入らずに、もっと発音しやすいプリフィックスのコールサインが欲しくなって、親戚に住所を借りてJH0のコールサインをとりました。こちらも同じような調査方法で昭和54年3月21日に免許と特定できています。
 もし、このときに北陸エリアに親戚なり知人がいれば、JA9W**の後半-X**の前半に間に合っていたことも改めて判明しました。惜しかった。
 日本でもVanity Callsignの仕組みが欲しいです。JB1やJC1をVanityで開放しないかしら。

 もう一つ余談です。JK1についてもいつからいつまでを調べました。過去のツイートをそのまま引用します。
「更にJK1についても調査を進めた(大げさ)。昭和52(1977)年4月30日にJK1AA*の免許があり、昭和53(1978)年7月20日のJK1XZ*(JL1AA*-JL1AH*あたりと同じ日ですな)の割り当てに至ります。JK1は1年以上もったんだね。」