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2022年2月1日火曜日

文化放送が弱い件

文化放送が弱いんです。

私の拙い経験では、川崎市多摩区、宮前区や横浜市青葉区あたりで聴いていると、送信所が同じような位置で同じ100kWの出力のTBSラジオに比べて、とても弱いです。

我が家の場合ですが、TS-950SDXとベランダに出したHR28で受信するとして、AIPを入れない状態で、文化放送(1134kHz)がメーター読み7つに対し、TBS(954kHz)は9プラス10dBくらいです。耳S的にもぜんぜん信号の力強さが違います。また、文化放送は時間帯によってはQSBを伴って届きます。

昔の中波モノバンドの6石ラジオで、バンドの下側に比べて上側はバリコンの都合でチューニングがクリチカルになるとか、感度が不足するなどの条件がある場合では、(送信所から受信場所への距離その他の条件は無視するとして)バンド中央のTBSラジオに比べてニッポン放送(1242kHz)が弱いなどは考えられます。

ですが、ほぼ現代水準のまともな受信機で比較してこの差ですから、何か理由があるんだろうなと思っています。

他局の例では、久喜(菖蒲)のNHK第一(594kHz 300kW)/第二(693kHz 500kW)、和光のAFN東京(810kHz 1050kW)は当地でも強いです。9+までメーターが振れます。川崎幸区の多摩川河川敷から送信しているRFラジオ日本(1422kHz 西に指向性の50kW)は近いせいかそれなりに強いです。ただし、近さの割りには強さはそれなりです。指向性アンテナがこちらに向いていないせいでしょうか。ニッポン放送(1242kHz 100kW)は木更津からなので、川崎や横浜の山側では強いとは言えませんが、文化放送ほど弱くはないです。

文化放送は我が家だけで弱いというわけではなく、冒頭に書いたように、川崎・横浜の山側の区を行き来している状態のカーラジオでの受信でも同じように弱いので、理由があるんだろうなと考えていました。ちなみに、自宅では強いと思っているNHK第一も、川崎・横浜の山の中を車で走り回っていると、「これほんとに300kWかい」というくらい弱い場合があります。埼玉県東部・南部方向から神奈川県東北部には弱く届く何か条件があるんでしょうかね。


さて、TBSと文化放送の比較検証です。

両局ともに、埼玉県南部である戸田市と川口市から100kWで送信しています。周波数も中波の受信機にとっては不利ではないバンドの真ん中あたりの954kHzと1134kHzです。距離的にもそこまで遠く離れているわけではないですし、ここは東京都心部のビルの谷間というわけでもないですから、都市ノイズに埋もれてしまうこともないです。

試しに、地理院地図を使って、両局の送信所から川崎市宮前区役所への地形断面図を作ってみました。

一つ目。TBS戸田送信所から宮前区役所の例です。

二つ目。文化放送川口送信所から宮前区役所の例です。

 

断面図を比較すると、文化放送のほうが荒川を挟んで都内に入った後の丘陵までの距離が長く、山の上の宮前区役所への到達が有利であるように思えます。反対に、TBSは送信所から2kmを過ぎると、荒川を渡ってすぐに丘陵に入るので、このへんは不利です。

ルートの比較では、文化放送のほうが都心寄りを通るので、障害物は多そうに見えます。距離も6-7km長いです。50MHzで10Wくらいでダイポールで送信した場合には、距離やルート的には文化放送のほうが弱く届きそうなイメージです。でも立派なアンテナに100kWですからねえ。

 

もう一つの面からの比較です。送信所付近の環境はどうでしょう。

TBS戸田送信所付近です。付近には戸田ボート場を始め、荒川が流れ、アンテナ設置条件の良さが伺えます。

文化放送川口送信所付近はというと、住宅地の中にあります。標高は少しこちらのほうが高いとはいえ、TBSに比べると不利ですね。

 

あくまでも仮説ですが、出力が同じで、かつアンテナ単体の性能が同じと仮定する場合、「アンテナの設置条件及び送信所から受信場所へのルート」が文化放送に比べてTBSのほうが有利であると想像できます。

それでも、メーター読みが文化放送7つに比べてTBSが9+10dBですから、こんなに差が開きますかねえ。

送信所から受信場所のルートを同じようにするために、大田区の蒲田や六郷付近(または南方向へその延長)を受信場所にして比較できると良いですね。そうすると、出力は両局ともに同一、ルートもほぼ同等(ルートが同等になるとすると、今度は逆に、TBSのほうが板橋区志村坂上付近の丘陵に近いので不利になるのではと。)、差は送信所付近の水場の有無かしら?と考えることができるかもしれないですね。5900持って出かけてみようかしら。

 

それはそれとして、文化放送が強い埼玉県南部や都内北部ではできないBCLの例をお見せします。当地では文化放送が弱いせいで、1116kHzの新潟放送の受信ができるんです。動画開始からすぐに「BSNラジオ」と言っています。


 

2022年1月24日月曜日

BCLラジオの季節の続きというか

 夏、BCLラジオが欲しかった季節 の続きです。続きの話というには少し内容がずれているのですが、そこはご容赦を。 その後思い出したことがあって、つらつらと書いてみます。

1978(昭和53)年11月23日木曜日(※1)、中波放送がそれまでの10kHzステップから9kHzステップに変更されました。

関東地方でも、

  • NHK第一は590kHzから594kHz(まだ川口送信所の頃)
  • NHK第二は690kHzから693kHz(同鳩ケ谷送信所)
  • FEN(現AFN)は810kHzのまま変わらず
  • TBSは950kHzから954kHz
  • 文化放送は1130kHzから1134kHz
  • ニッポン放送は1240kHzから1242kHz
  • ラジオ関東(現アールエフ・ラジオ日本)は1420kHzから1422kHz

と変わっています。

この少し前、TBSラジオのベリカードをもらったところ、周波数表記の下に「昭和53年11月23日から954kHzにかわります」と印字されていました。周波数変更前は、番組の合間に周波数が変わるよと繰り返し広報が行われていました。

11月22日の夜、ラジオをつけっぱなしで寝てしまい、早朝に目覚めたらラジオのチューニングがずれていることに気づきました。あ、そうだった、今日から周波数が変わるんだったっけと思い出し、ダイヤルを少しだけ左に回してチューニングを取り直したのを覚えています。

ICF-5900。これは近年再入手した個体。

当時、既に私のものとなっていたICF-5900は、中波放送をBFOを入れずに聴く限り(中波でBFOを入れるひとはいないと思いますが)は安定度が良く、意図的にダイヤルを動かさない限りはずれません。そんなことから、私が寝ぼけてずらしたり、安定度が悪かった故のチューニングずれではなく、局側が動いたんだなとすぐに思ったんですね。

この日、朝5時のID以降は試験放送で、9時から新しい周波数での本放送を行うといった編成だった記憶があります。 免許上、そういうことだったんでしょう。

5900のようにアナログダイヤルで選局する場合はたいした影響はないのですが、当時のカーラジオは一部の例外(※2)を除き、大部分が5局程度をプリセットする形式(※3)のもので、数kHzのずれを併せなおしてプリセット(チューニングツマミを回してチューニングをとって、プリセットツマミを引いて、押しなおして設定する)が必要でした。この手の準備は事前に済ませられず、ある日車に乗ってラジオを付けたら、全局チューニングがずれていて、プリセットし直すということがあちこちであったんでしょうね。

 

(※2)当時の我が家の車は、マツダのサバンナGSⅡで、このGSⅡというグレードは、ロータリーエンジンは安いほうの10Aタイプなものの、ラジオは中波だけでしたがモータードライブのオートチューニングタイプの豪華仕様で、チューニングボタンを押すと順方向にモーターでアナログチューナーが動き、強い局で停まって自動選局完了というすごい仕組みでした。

聴きたい局の送信所からみて強電界の範囲で動いている限りは便利なんですが、地方向けの家族ドライブをする際、夜になってから関東地方から離れてしまった場合には、電離層反射でTBSの混信がひどくなってきたのでニッポン放送に移ってみようと思っても、他の地方や国の強い局に埋もれてしまい、チューニングしようにもボタンを押しちゃすぐに停まりの連続で、手動で局を探さないといけないという事態になりました。それこそ意図せず車内BCLの開始になります。そういうときには(※3)のプリセット方式のラジオのほうが良いなと思ったものです。 

90年代80年代も後半に入ってからは、カーラジオでも周波数が読めるシンセサイザのチューナーになったので、便利になったもんだなあと思ったものです。

 

(※1)JL1はいつから割り当てが始まり、終わったのか。 に書きましたが、私の局免許がきたのはこの数日後のことだったんですね。こんなイベントがあったりしたので、無線の免許は早くこないのかみたいな話は忘れていたような気がします。


2019年8月22日木曜日

夏、BCLラジオが欲しかった季節

夏というと、小学校のころの、7月下旬に出たラジオの製作の最新号を何度も読みつつ、BCLラジオが欲しいと願いながら長い休みを過ごしたことを思い出す。いや、ある時期ではBCLではなくて無線の免許を取ってRJX-601でQSOしたいとか、そういうことを願った夏もあったのだけど、今回はBCLばなし。

私がBCLというものを知ったのは、スカイセンサー5800のテレビCMをみたとき。
5800の発売は1973年4月で、同機の初期のCM、ラジオ・オーストラリアのワライカワセミ版で刺激を受けて、その後にBBCのビッグベンの鐘の音版を見たという記憶がある。
その当時、BBCのシンガポール中継の日本語放送が7180kHzでやっていて(懐かしのラジオの製作のラ製データシートを参照) 、父親の部屋にあったFT-101のAMモード(ただしSSBフィルタで聴いていたので音が悪い)で聴くことができたのだが、子供にはそれではつまらなくて、FT-101では聴けない9MHz帯や11MHz帯のラジオ・オーストラリアを自分の部屋でBCLラジオで聴きたかったのであった。

しかし、私はそのCMを認識した後、時期的には小学校4年の1974年の夏から秋の時期に、東芝サウンド750GTVを親から買ってもらっていたのだ。
このサウンド750GTVを選んだ当時の心境を思い出してみると、
・5800は〇〇くんの父親が持っているので後追いはつまらない。
・自分の部屋にテレビが欲しかった。しかし親からみたら自室にテレビとなると全く勉強をしなくなる恐れがあるとされた。まあ音声だけなら許されるのではないか。
・サウンド750GTVでは短波の3.9-12MHzを聴けるのでBCLだってできるだろう。
・3.9MHz帯や7MHz帯のBCLならFT-101で聴けばよいし、ラジオよりも安定して聴ける。
といった判断があったと思う。
今から思えば、値段もほぼ変わらない5800や当時既に併売されていたサウンド750GSを買っていれば我慢することなくBCLをできたはずなのに、当時の私はなぜかテレビ音声を優先したのだった。(当時頭を支配したと思われる「全員集合を聴いたら楽しいよね」という発想は誤りで、土曜日の8時台はお茶の間のテレビで全員集合を見てたし、そこにはサウンド750GTVの出番はなかったのだ…)

で、案の定、買ってもらった後は、画面なしの音声だけのテレビではつまらなく、12MHz以上の周波数は聴けずで、BCLラジオにすればよかったーと後悔する日々を送ることになった。
でも、BCL用として使うには物足りなくても、両親の帰省先についていったときに、夜になってからロッドアンテナを伸ばして短波帯を聴くと、自宅では聴けない数の放送局がバンドいっぱいに聴こえて感動したものだった。

私がBCLラジオを手に入れたのは1977年になるのだが、その前年、クーガー22001010の発売があって、2200の値段の高さに遠慮してより安価な1010をねだったことがあった、しかし、ラジオばっかり欲しがってとそれは却下された。
そのときになぜ欲しいのだと訊かれ、持ち歩ける小型のラジオが欲しいのだと(本当の本当はクーガー2200が欲しいのだが、適当なこじ付けでそう言った。小型のラジオが欲しいのは事実なので本音でもあり…小型というのなら本当はICF-7800が欲しいと思っていた。)言うと、代わりに秋葉原のラジオセンターの中の店で買ってもらったのが松下RF-527だった。
このRF-527は中波とFMしか聴けない小さなラジオだが、小学校高学年当時に毎月のように行っていたキャンプに持って行って聴くのに重宝した。

そして待ちに待った1977年の秋、ついに手に入れたBCLラジオがスカイセンサー5900だった。クーガー2200のほうが性能が良いのはわかっていたが、やはり3万円を超す値段に恐れをなし、5900を選ぶことに。
青い箱から出して、ラ製で飽きるほど眺めた筐体の実物に感動し、同時に買ったキャリングケースに入れつつも、ケースに入れると筐体のデザインが隠れてしまうので脱がしてみたりと、しばらくはケースに入れたり出したりしていたことを思い出す。あと、スイッチを入れて受信した音の印象が「こもった音」だったのもよく覚えている。

ここから先は夏休みでも夏でもない話になるのだが、5900の、というよりBCLラジオの一番の思い出は、電話級の免許状が来て局免許を申請している最中だった中学2年の秋、高崎線から直通の上越線各駅停車(上野発長岡行き。当時は上野発6時台、14時台、23時台と一日3本あった。)で埼玉から新潟まで行ったときに、窓際に5900を置いて車窓を眺めながらヘッドフォンで聴き続けたこと。
地元駅から電車に乗って、最初は県内に送信所がある中波放送を聴いてみる。NHK第一(78年当時はまだ川口にあった)、TBSラジオ(戸田)や文化放送(川口)が強い。そのうちにそれらが聴こえにくくなり、NHKFMの前橋放送局が聴こえにくくなると、SW1に切り換えてNSBを3.925MHzと6.055MHzとを切り換えながら聴く。
埼玉の自宅ではフェージングを伴って聴こえる電波が、群馬に入ってしばらくしたあたりまで行くとSINPO=55555で安定して聴こえていた。千葉県長柄から送信している電離層反射の電波は、埼玉で聴くよりもある程度の遠さがあったほうがよく聞こえるということを知識では知っていても実際に経験したのは面白かった。

でも、この後は局免許が来て自分で電波を出し始めてしまうので、念願のBCLラジオを満喫したのは約1年だった。小学校の頃から頭の中に温め続けた期間が長かったのにもかかわらず。

2016年8月28日日曜日

70年代のトランジスタラジオ その2

今回は東京半導体工業のJK-86。
同社からナイスキットという名称で6石と8石と2つのラインナップで販売されていた中波専用ラジオのキットで、今回の個体は8石版。6石のほうはJK-69という形式名だった記憶が。
外観は6石も8石もなくて共通です。73年前後のラ製の巻末の販売店の広告を見ると、これが掲載されていると思います。ラ製本誌での紹介記事もありました。

小学校4-5年のころでしょうか、父親にねだって、これの6石版を買ってもらいました。なんで6石版だったんだろう。その分部品点数が少なくて安いことから、父親の小遣いへの圧迫度が低かった、工数が少なくなる分子供でも簡易に作れそうだった、という理由でしょうか。

数年前に手に入れたこの画像の個体は、電池を入れてみて音が鳴らないことを確認しただけで、以降は手を入れていません。

実は、この製品にはウイークポイントがあって、バリコンの回転部の中心に選局ダイヤルをねじ留めしているんですが、これが緩むんです。
で、さらにその留めているねじの上から、周波数が書いてあるラベル(画像でいえば青く写っている部分です。)を貼るので、一度緩んだ場合にはラベルを剥がさないといけないんですね。
緩んじゃラベルを上手に剥がして、ドライバーで増し締め、またラベルを貼る、ということを繰り返していると、ラベルの見栄えが悪くなることに加え、ダイヤルのねじ留め部分がプラスチックのままで金属で強化されていないため、ついには割れて選局不能になってしまうのです。

この個体も半分くらいラベルを剥がした跡があって、ダイヤルを停めるねじが緩んでガタがある状態なのですが、まずは長い時を超えてなつかしい筐体を間近に見たかったという願望が叶ったことで満足することにします。

改めて筐体を眺めていると、TR-3500に比べても一回り大きく、初心者向けキットであるがゆえ小型化に主眼を置いていないせいで、けっこう音が良かったことを思い出します。こんなことを書いていると直したくなってきますねw

2016年8月27日土曜日

70年代のトランジスタラジオ その1

SONY TR-3500。後年トリオから発売された430MHzFMハンディ(既にケンウッドになった後かしら。こちらのTR-3500は片手で掴めるハンディトランシーバだった。)と同じ型番だが、これはソニーのラジオ。webで調べてみると、73年発売とのこと。
トランジスタラジオというと、60年代の前半などは立派な革ケースに入っていて、いかにも大事に扱われるものという雰囲気があったが、このころになると高級(高性能、多機能)のラジオと、普及価格で手軽に買えるものがいろいろとラインナップされていた。

当時のソニーのラジオ総合カタログ(あれ、何ページくらいあったんでしょう。ちょっとした冊子でしたね。)をみると、多種多彩なモデルが掲載されていた。

TR-3500はそのカタログでは後ろのほうの廉価なラジオが並ぶページにひっそりと載っていたと思う。変な小学生だった私は、そんなカタログを隅から隅まで読み込んでいて、家電店のラジオのコーナーに行っても、どのラジオがどんな性能で、どれくらいの価格でということをひととおり反芻できたほどだった。
※その変な特性は、のちに無線機だったり、自動車だったりという分野にも発揮されたのでした。

TR-3500はこれ。一定年齢より上の人なら、一度は見たことがあるかもしれません。
6トランジスタの単三2本で動作する中波専用ラジオです。バリコンの直線性は、よくある上の周波数になると選局がクリチカルになるというやつで、これでBCLをやるには、かなりのやせ我慢が必要です。
このモデルはこの黒地にシルバーパネルのもののほか、青や赤のものがありました。
MADE IN JAPANです。70年代も後半になるとこういった安価な製品はどんどん海外生産になっていくのですが、これはぎりぎりその前ということなのでしょう。

小学生のころに祖父の家に行くと、いつもこの黒地にシルバーのTR-3500があって、ラジオとかそういう類のものが大好きだった私は、祖父の家に行くたびにこれを弄り回して、あんまり弄っていると電池が無くなるから、と叱られたものでした。

この個体は近年オークションでジャンクを落札して、基板に取り付けられている部品のはんだ付けをし直して再び聴けるようにしたものです。たまにスイッチを入れてみると、NHK第一からRFラジオ日本(この局名はあまり好きじゃない。ラジオ関東のほうがしっくり来ます。)まで、ちゃんと聴こえます。
決して音が良くないのですが、耳が疲れてくるまでの小一時間、当時を思い出しながら聴くという楽しみ方をすべきなんでしょう。オークションでもけっこう見ますから、このモデルに郷愁を感じる方はぜひ。