2019年8月22日木曜日

夏、BCLラジオが欲しかった季節

夏というと、小学校のころの、7月下旬に出たラジオの製作の最新号を何度も読みつつ、BCLラジオが欲しいと願いながら長い休みを過ごしたことを思い出す。いや、ある時期ではBCLではなくて無線の免許を取ってRJX-601でQSOしたいとか、そういうことを願った夏もあったのだけど、今回はBCLばなし。

私がBCLというものを知ったのは、スカイセンサー5800のテレビCMをみたとき。
5800の発売は1973年4月で、同機の初期のCM、ラジオ・オーストラリアのワライカワセミ版で刺激を受けて、その後にBBCのビッグベンの鐘の音版を見たという記憶がある。
その当時、BBCのシンガポール中継の日本語放送が7180kHzでやっていて(懐かしのラジオの製作のラ製データシートを参照) 、父親の部屋にあったFT-101のAMモード(ただしSSBフィルタで聴いていたので音が悪い)で聴くことができたのだが、子供にはそれではつまらなくて、FT-101では聴けない9MHz帯や11MHz帯のラジオ・オーストラリアを自分の部屋でBCLラジオで聴きたかったのであった。

しかし、私はそのCMを認識した後、時期的には小学校4年の1974年の夏から秋の時期に、東芝サウンド750GTVを親から買ってもらっていたのだ。
このサウンド750GTVを選んだ当時の心境を思い出してみると、
・5800は〇〇くんの父親が持っているので後追いはつまらない。
・自分の部屋にテレビが欲しかった。しかし親からみたら自室にテレビとなると全く勉強をしなくなる恐れがあるとされた。まあ音声だけなら許されるのではないか。
・サウンド750GTVでは短波の3.9-12MHzを聴けるのでBCLだってできるだろう。
・3.9MHz帯や7MHz帯のBCLならFT-101で聴けばよいし、ラジオよりも安定して聴ける。
といった判断があったと思う。
今から思えば、値段もほぼ変わらない5800や当時既に併売されていたサウンド750GSを買っていれば我慢することなくBCLをできたはずなのに、当時の私はなぜかテレビ音声を優先したのだった。(当時頭を支配したと思われる「全員集合を聴いたら楽しいよね」という発想は誤りで、土曜日の8時台はお茶の間のテレビで全員集合を見てたし、そこにはサウンド750GTVの出番はなかったのだ…)

で、案の定、買ってもらった後は、画面なしの音声だけのテレビではつまらなく、12MHz以上の周波数は聴けずで、BCLラジオにすればよかったーと後悔する日々を送ることになった。
でも、BCL用として使うには物足りなくても、両親の帰省先についていったときに、夜になってからロッドアンテナを伸ばして短波帯を聴くと、自宅では聴けない数の放送局がバンドいっぱいに聴こえて感動したものだった。

私がBCLラジオを手に入れたのは1977年になるのだが、その前年、クーガー22001010の発売があって、2200の値段の高さに遠慮してより安価な1010をねだったことがあった、しかし、ラジオばっかり欲しがってとそれは却下された。
そのときになぜ欲しいのだと訊かれ、持ち歩ける小型のラジオが欲しいのだと(本当の本当はクーガー2200が欲しいのだが、適当なこじ付けでそう言った。小型のラジオが欲しいのは事実なので本音でもあり…小型というのなら本当はICF-7800が欲しいと思っていた。)言うと、代わりに秋葉原のラジオセンターの中の店で買ってもらったのが松下RF-527だった。
このRF-527は中波とFMしか聴けない小さなラジオだが、小学校高学年当時に毎月のように行っていたキャンプに持って行って聴くのに重宝した。

そして待ちに待った1977年の秋、ついに手に入れたBCLラジオがスカイセンサー5900だった。クーガー2200のほうが性能が良いのはわかっていたが、やはり3万円を超す値段に恐れをなし、5900を選ぶことに。
青い箱から出して、ラ製で飽きるほど眺めた筐体の実物に感動し、同時に買ったキャリングケースに入れつつも、ケースに入れると筐体のデザインが隠れてしまうので脱がしてみたりと、しばらくはケースに入れたり出したりしていたことを思い出す。あと、スイッチを入れて受信した音の印象が「こもった音」だったのもよく覚えている。

ここから先は夏休みでも夏でもない話になるのだが、5900の、というよりBCLラジオの一番の思い出は、電話級の免許状が来て局免許を申請している最中だった中学2年の秋、高崎線から直通の上越線各駅停車(上野発長岡行き。当時は上野発6時台、14時台、23時台と一日3本あった。)で埼玉から新潟まで行ったときに、窓際に5900を置いて車窓を眺めながらヘッドフォンで聴き続けたこと。
地元駅から電車に乗って、最初は県内に送信所がある中波放送を聴いてみる。NHK第一(78年当時はまだ川口にあった)、TBSラジオ(戸田)や文化放送(川口)が強い。そのうちにそれらが聴こえにくくなり、NHKFMの前橋放送局が聴こえにくくなると、SW1に切り換えてNSBを3.925MHzと6.055MHzとを切り換えながら聴く。
埼玉の自宅ではフェージングを伴って聴こえる電波が、群馬に入ってしばらくしたあたりまで行くとSINPO=55555で安定して聴こえていた。千葉県長柄から送信している電離層反射の電波は、埼玉で聴くよりもある程度の遠さがあったほうがよく聞こえるということを知識では知っていても実際に経験したのは面白かった。

でも、この後は局免許が来て自分で電波を出し始めてしまうので、念願のBCLラジオを満喫したのは約1年だった。小学校の頃から頭の中に温め続けた期間が長かったのにもかかわらず。

2019年8月2日金曜日

TH-59とTH-89

 久しぶりにハンディ機の話題です。TH-59及びTH-89の両機ともに1995年モデルだそうです。
 私がこれらを入手したのはもっと後です。2002年以降しばらくの間1200MHzのトランシーバを集めるのに執心していた時期があって、当時は同好の士がけっこういて値段が高かったのを覚えています。

 当初はTH-89を手に入れて、不具合を直してもらった後、BNCで使える短いアンテナを探してみたりと楽しんでいました。
 TH-59はある年のハムフェアで見つけて、手ごろな値段だったので即買いをしました。運よくキーパッドDTP-2が取り付けてあるモデルで、今となっては貴重です。こちらもSMA用の短いアンテナを探してつけています。
 この両機を比べてみると、TH-89のほうがTH-59よりも一回り大きく、厚みがあります。なので、TH-59の入手後はハムフェアなどで仲間と連絡をとりながら歩くには、コンパクトなTH-59ばかりを使っていました。

 そろそろハムフェアだな(気が早いw)ということで、約1年ぶりに動作の確認をしようとしまい込んでいた箱から出してきてみると、TH-89を入れているソフトケースが加水分解でベトベトになっています。これはまずいとケースから出して電池を入れてみると、無事動作しました。ほっとして、濡れタオルで清掃後、記念撮影です。
 TH-89のソフトケースの加水分解は2度目で、最初はぴったり被せるタイプのSC-42(単三電池用の電池ケースBT-9対応)を使っていたのですが、これが2年くらいでベトベトに。仕方ないので大雑把な汎用ソフトケースSC-40に入れていたのですが、こちらも10年くらいで加水分解です。
 TH-59で使っているBT-9対応のソフトケースSC-38は少し怪しいながらもここまで耐っているので、TH-89内部から加水分解を促進する物質が出ているのでしょうかw
 この手のハンディ機って、同じ1200MHzのTR-50のようなポータブル機とは違って、自宅で使うというシチュが無いですから、ほんとハムフェアみたいなイベントでしか電源が入らないんですね。
 というわけで、TH-59を入手後にこちらばかりを使っていて、TH-89のほうは数年電源も入れずにいた罰があたったのでしょうか。今年はTH-89を使うことにします。

参考にこの2機種のTipsを。
(1)電池ケースBT-9で運用する場合、エネループを使うとTH-59は電圧不足で送信するとRFメーターが点滅します。TH-89の場合は大丈夫です。ある年のハムフェアでTH-59にエネループで持って行って、あわてて単三電池を探し回ったことがありました。
(2)純正のアンテナは長いので、短いのに交換するとスマートです。
TH-59の場合は、ナテックのH35Sがおすすめです。第一電波にもSMA対応の短いホイップSRH805Sがありますが金色のリングが入っています。金色がちょっとアレな感じがする場合にはナテックです。ただし、ナテックのこのホイップは430MHz/1200MHz用ですので…おそらくマランツC601が発売された頃にそれ用に販売されたのでしょう…144MHzでは使えません。たぶん。
 TH-89の場合は、第一電波のRH-3がおすすめです。画像では指でこすった結果消えてますが、エレメント部分に青いレタリングで商品名などが書いてあります。これはアリかなと思います。
(3)一般的なQSOであればSMC-33や34のようなスピーカーマイクを使うのが良いと思いますが、お尻のポケットにハンディ機を挿して会場内を練り歩くということであれば、特定小電力機などで多く使われた、ケンウッド純正のイヤホン付きタイピンマイクのEMC-3をおすすめします。
 特定小電力用のイヤホンマイクでケンウッド用とされている安いものがあります。そのような製品の中になぜかマイクプラグとイヤホンプラグの間隔がTH-59/89とは違って挿せないということがあったのでご注意を。おそらく近年の特定小電力トランシーバUBZシリーズには合うのかもしれませんが、TH-59/89では使えない例がありました。

2019年7月30日火曜日

米国の同期のみなさんの動向はどうなっているのだ。

 私が東京VEチームの試験で最初の米国の資格(エレメント1と2でTechnician Plus)をとったのが2002年のこと。KC2J*Qが割り当てられました。その翌月、名古屋に出張になったので、宿泊を一日延ばして名古屋VEチーム(現在は活動停止)の試験でエレメント3と4に合格してAmateur Extraになりました。KC2J*Qは一度も運用しないまま、Aで始まる5文字のコールサインにアップグレードし、AB2**となりました。その後、渡米する機会はあったものの、現地で電波を出す機会なく、英語もいまいちなまま、今日に至っています。
 それから15年以上経過して、最初に割り当てを受けたKC2J**の同期(と勝手に呼びますが)の26人のみなさんは今どうなっているのかに興味をもって、調べてみました。
 この手の情報は日本よりも公開範囲が広く、FCCのULSのライセンスサーチで簡単に調べられます。画像の上にあるとおり、調べたのは今年の5月下旬です。(系統立てて検索するのではなく、単純にコールサインを入れて行う検索はこちらです。)
 黄色の17人はそのまま現在も有効です。TechnicianからGeneralになった人もいますが、コールサインはそのままです。
 また、緑色の5人はVanity Callsign Systemを使って1×3(W1ABCなど)になった人です。1人は、この1×3のコールサインが気に入ったようで、Extraになった後もそのまま使っているようです。また、1人は1×3のVanityを2回やっていますね。
 色のついていない人は、Expired、失効した人です。4人います。一人だけExtraになった上で失効している人がいますが、それは私ですw
 26人の17年後の生存率は84.6%です。まずまずではないでしょうか。日本の場合と比較する場合、日本の5年に対して米国の場合の免許の更新は10年に1回なので生存率は日本に比べて高いはずです。その間日本では2回免許の更新があります。2回のフィルタって大きいですね。そのあたりは考慮しないといけません。

 ここからは余談です。
 しかし、なんで私は失効したんでしょう。ダメですね。10年経過の少し前に、最初に借りた住所を使えなくなってしまったので、次の住所をどうしようかと考えていたのですが、その後すっかり忘れていて、ある日気付くと、10年経過後に2年ある復活可能期間を過ぎていいて、何もない状態になっていました。
 2014年にFCCが失効者に対する救済のルールを改正したので、さっそくこれに乗ることにし、横須賀・逗子VEチームの試験でエレメント2を受験し、無事復活することができました
 ただし、単純に旧コールサインに戻れるわけではありません。私の扱いは、2014年にエレメント2を受けた際の住所である7エリアでのExtraの新規合格者と同じです。受験時にFRN(FCC Registration Number)を申告することにより、失効したライセンス保持者であることを示して、エレメント2合格時に結びつけをしてもらうのですが、それであってもコールサインは新規に7エリアでExtraとしての順次指定を受けます。元の2エリアのコールサインに戻りたければ、Vanityを使って、空いていれば戻れるという仕組みです。

 今のところ、新たな7エリアのコールサインを指定されたままになっています。Vanityにすれば戻れるのはわかっているのですが、特別な並びでない、単なるAB2**に戻ったとしてもこれがVanityで指定されたものとわかるのが少々恥ずかしいです。
 FRNで検索すればすぐにわかるのですが、2002にTech+でKC2J**、すぐにAB2**、そして失効、復活したのが7エリアで、AF7**であるという私の履歴が簡単に表示されます。その上VanityでAB2**に戻ったとなると、それも記録されて表示されるわけですが、こいつ何やってんだwということがわかってしまいます。
 順次割り当てで指定されたコールサインはRadio Serviceの欄が「HA」と表示されます。Vanityの場合はここが「HV」となって、さらに個別のコールサインを表示させるページでは、ご丁寧にコールサイン欄が「AB2**(Vanity)」と表示されるんですね。
 マヌケは承知で戻るか、それとも今のままにするか。どうしましょうね。

2019年7月22日月曜日

JL1はいつから割り当てが始まり、終わったのか。

 少し前に元林さんが公開されていた、完成!Excelコールブックを眺めていたら、JL1はいつから割り当てが始まって、いつ割り当てが終わったのかについて興味が出てきました。

 早速元林さんのblogのリンクからExcelシートをダウンロードし、JL1の割り当てが始まった昭和53(1978)年から切りの良い5年毎の免許の切れ目というか免許の日を特定します。
 かつて、平成に入る少し前にJL1は一度再割り当てが行われましたが、一度も免許を切らせずに継続しているみなさんのおかげで、じーっとExcelシートを見ていると、画像では黄色でマーキングしていますが、平成30(2018)年…ってことは40年経ったのか!!!…の7月20日に免許になったみなさんが、浮き上がって見えてきます。
 昭和53年7月20日、この日は、Excelで特定できるJK1XV*からJL1AD*の範囲と、たぶんその前後の数局が免許になりました。より発音のしやすいJK1とJL1の明暗(暗なのかw)が分かれ、以降、1万局を超える(個人局は16142局)JL1という発音のしにくいプリフィックスの割り当てが始まった記念すべき日です。

 私にとってのそのころは、ちょうど電話級の講習会…夜間コースだったので3カ月くらい講習期間がありました…の修了試験が行われた頃で、既にIC-502で50MHzSSBを夜な夜なワッチをしていたのですが、JK1がついに終わりそうということで、やはり自分の割り当てはJL1になるのか、と少し残念ながらも、早くコールサインが決まって電波を出したいとワクワクしていた時期です。
 で、私の免許の日は11月25日でした。カレンダーを遡ると土曜日で、当時の郵政省は完全週休二日の導入前であったことが想像できます。自分の記憶では月曜日に学校から帰ってきたら「無線局免許状在中」と書かれた封筒が届いていて、それを開いてすぐに電波を出した記憶があります。実際の開局は11月27日月曜日でした。
 私自身は、一度免許を切らせているのですが、セカンドレターまで同じの同期のみなさん(と勝手に呼んでいるのですが)の中で、2局ほど11月25日免許の人が一度も切らさずに更新されているので、後から自分の免許日を思い出すためのきっかけになりました。

 余談はまたの機会として、Excelシートをじーっとにらみつける作業を続けると、昭和54年4月3日にExcelで特定できるJL1XE*からJM1AM*の範囲とその前後の割り当てがあって、JL1の割り当ての第一幕が終わることがわかります。そして、この日を境にJL1とJM1の明暗wが再び分かれます。
 両プリフィックスともに、そのまま読むと発音のしにくさは同じようなものですが、パイルアップのときなどにフォネティックコードの違いで「ジュリエット リマ ワン」と「ジュリエット マイク ワン」とでは判りやすさが全然違うので、JM1のほうが恵まれています。
 しかし、JL1って1年もたなかったんですね。意外でした。1エリアのプリフィックスがいつごろ割り当てられたかについては、元林さんのPrefixのページに記載があります。

 これまた余談ですが、当時、このJL1なにがしが気に入らずに、もっと発音しやすいプリフィックスのコールサインが欲しくなって、親戚に住所を借りてJH0のコールサインをとりました。こちらも同じような調査方法で昭和54年3月21日に免許と特定できています。
 もし、このときに北陸エリアに親戚なり知人がいれば、JA9W**の後半-X**の前半に間に合っていたことも改めて判明しました。惜しかった。
 日本でもVanity Callsignの仕組みが欲しいです。JB1やJC1をVanityで開放しないかしら。

 もう一つ余談です。JK1についてもいつからいつまでを調べました。過去のツイートをそのまま引用します。
「更にJK1についても調査を進めた(大げさ)。昭和52(1977)年4月30日にJK1AA*の免許があり、昭和53(1978)年7月20日のJK1XZ*(JL1AA*-JL1AH*あたりと同じ日ですな)の割り当てに至ります。JK1は1年以上もったんだね。」

2019年4月16日火曜日

27.125MHzハンディトランシーバ

今回はTwitterからの転載になります。
小学校のころにおもちゃ屋さんで買えた「トランシーバ」の話です。
おおよそのものが、27.125MHzの一波で、受信部は超再生式、電源は裏蓋を開けて挿入する006Pで、送信を繰り返していると割とすぐに電池切れ。出力はそれほど大きくなく、ロッドアンテナを伸ばしても交信距離は伸びません。
それがムデン製だったり学研ラジホーンだったり正体不明(私が買い与えられていたのはこれ)の輸出用のMade In Japanのものだったりいろいろあるんですが、相互に交信できました。
そのトランシーバなんですが、今更ながら疑問が生じました。

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昨日、ふとしたことから、学研ラジホーンやその類似のおもちゃのトランシーバ相互間で、なぜQSOできたんだろうと思いを巡らしていた。子供の頃に、友人同士でそんなトランシーバを持ち寄って交信ごっこをしたときに、ちゃんと交信できていたことについての疑問ね。

最初に考えたのが、超再生式の受信機なので選択度が甘くて、27MHz付近の電波を全部受信しちゃうので交信可能だった説。これは、超再生式であるか否かには関係なく、ただの思い込みからそう思っただけで、単に選択度が甘目というかローコスト設計だったのでそういうことだったのかという想像。

その当時、26.9から27.6くらいまでの範囲で電波を出せる送信機(注)を触る機会に恵まれて(まあ許せ。時効だ。)、この送信機のそのバンドを下から上まで送信してみると、おもちゃトランシーバでずーっと受信できていたことから、選択度が甘い=超再生式というそんな思いこみが長年あったのだ。

その個体の選択度が甘いのは実験(強電界ゆえの現象やアンテナ不備による高SWR故の不要輻射からそうなったとも言える。)からそのとおりだとして、500KHz以上の幅を受信しちゃうのは極端な例としても、一般的に超再生式がそういうものだとしたら、普及するわけがない。昨日今日になってそう気づく。

で、自分がかつて親から買い与えられていたトランシーバには、27.125MHzの水晶が挿さっていたことを思い出して「27.125 トランシーバ」と検索してみると、当時のこの手のトランシーバはこの周波数で統一(というと大げさなんだろうけど)されていて、相互間でQSO可能だったようだということが判明。

どうってことはない、当時の業界標準(?)の周波数で遊んでいただけだったということなら簡単な話。HF機で送信実験などするまでもなく、おもちゃトランシーバ相互間では交信可能ということだったということでした。自分の中で超再生式の名誉が何十年かをかけて復活しました。ごめん、超再生式。






それを見た私のツイート。
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入力100mWの話は知らなかった。





(参照 1960 - History of Citizens Band Radio) この1960年のページにその件と関連する記載がありました。 「アメリカ向けのトランジスタラジオの輸出が貿易摩擦を起こし危機に直面していた日本の小規模電気製造業は、26.970-27.280MHz(入力100mW)のいわゆる「FCC Part 15のCB無線」に活路を見出し始めていました。」




という感じでした。Part 15のCB(26.97-27.27MHz)のセンター周波数は27.120MHzですが、Part 19のCBのチャンネルプランに準拠し、5kHzずらした27.125MHz(Ch.14)が選ばれたものと想像します。もちろん国内向けの「おもちゃのトランシーバー」も当時からありましたが、これら輸出用の「おもちゃのトランシーバー」はFCCが49MHz帯にPart 15のCBを作ったため余剰分が国内に流れたようです。」
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ここまでの話で、小学校当時遊んだのあのトランシーバがどういう経緯で作られて、それが国内に流れて、みんなで27.125MHzで交信できたことが一つにつながりました。
ツイートやwebでいろんなご見識に触れることができて、とても新鮮な思いです。






2019年3月1日金曜日

SWLナンバーをもらいました。

今更なんですが、SWLナンバーをもらいました。要は、JARLに准員として入会しただけなんですが、小学校高学年当時には、関東ではJA1-*****とSWLナンバーはすでに5桁だったので、どうせそのうち免許を取るし、SWLナンバーはいらないかな、と思ってそのままでした。

2018年になってから、SWLナンバーってどれくらいまで進んでいるんだろうと興味を持ち、調べてみたところ、元林さんの http://www.motobayashi.net/callsign/untold/swl.html に行き当たり、JA5,8,9,0の各エリアでは未だに4桁のSWLナンバーが割り当てられているのを知り、急遽4桁ナンバー取得プロジェクト(大げさ)が開始されましたw

幸いなことに、この4つのエリアのうち、0と8には親戚が住んでおり、住所を借りることができればこの住所を根拠にJARL准員として入会申し込みすればよいことになります。
すでに免許を持っている者が准員として入会できるのかというと、厳密には https://www.jarl.org/Japanese/5_Nyukai/nyukai-7.htm には「准員:コールサイン(日本)をお持ちでない方」とあるので、私が申し込んでしまうとグレーなのですが、お断りされたらそのとき考えることにして、とりあえず入会の申し込みをしてみました。

申し込み時に気付いたのですが、「※2.准員には門標板はございません。」という記述があり、今は残念ながらSWLナンバーのプレートはもらうことができません。SWLナンバーの門標をwebで画像検索してみると、旧社団法人時代のものを見ることができるんですが、惜しいです。欲しかったなあ。というか、実はSWLナンバーの入ったプレートが欲しかったんですね。これが本当の目的でした。

とりあえず今はQSLカードの交換はしていないし、アンテナ第三者賠償責任保険 https://www.jarl.org/Japanese/5_Nyukai/hokenseido.htm に入れることを実とすればいいかなと思い直して、入会の受理を待ちました。そして、申し込みから2週間弱で、会員証と会員手帳が送られてきました。

じゃじゃーん。念願wの4桁のSWLナンバーです。
そのうちに気が向けば正員に移行するかもしれませんが、しばらく准員生活を満喫したいと思います。
満喫ってどう満喫するのかよくわかりませんが。

おまえコールサインあるじゃないか!とお叱りをいただいて退会または正員移行を余儀なくされた場合には、元JA0-四桁と名乗ることにしましょうw

その後、住所を関東の現住所に移し(これはwebで完了。)、そのうちに気が向いたら正員に移行してQSLカードの交換でもしようかなと思いつつも、未だにQSLカードの新調をせず、アンテナ第三者賠償責任保険には入って、准員(というかJARL会員ですな)のメリットを享受しつつ、 現在に至っております。

※2019/5/20、無事4桁SWLナンバー取得作戦は遂行完了ということで、正員に移行しました。JA0-5184はQSL転送アカウントにするか、SWL専業で准員になるまでは休止となります。

2018年10月27日土曜日

TS-590Sその2

590Sで一番聴きやすい設定って何だろうというおはなし。
前回もちらっと触れましたが、この無線機はアナログの無線機よりも聴きやすくないです。 でも、時代の変化に付いていかざるを得ませんから、今更アナログの無線機が新品で手に入るわけでもないですし、慣れないといけないんですね。

で、前回はDSP受信フィルタをHb2が良さげという話を書いたのですが、その後いろいろと聴き比べてみると必ずしもそうでもなく、ある一定条件においてはHb2で聴くと聴きやいときもあるんですが、いつもそうでもないのが曲者です。

無線機のスイッチを入れて、まず入口的にVFOダイヤルをぐるぐると回して聴くには、DSP受信フィルタは入れずに、ソリッドな状態で、帯域フィルタのほうは2.4-2.7KHzを通過するような標準的な設定が正解なんでしょう。
そこで、特別にNRを入れないとダメとか、ノイズレベルが高くてNBを深めにかけてみようとか、個別の条件に併せて制御を入れるというのが正解なんでしょうね。

DSP受信フィルタをHb2にして良かったとか、キワモノ的に音を弄るNRを入れて信号が浮き上がったとか、そういう記憶や印象は強いのですが、通常の条件にそれが当てはまるかというと決してそうではなく、それらの機能を入れっぱなしにしておくと聴きにくいことのほうが多いんです。

ここ1か月ちょい、この無線機でSSBの信号を聴いてみて思ったのは、基本的にはアナログの無線機と同じ使い方(つまり、DSP制御で音を変えるものは何も入れない)をして、個別の条件に対応するためだけにそのときだけ機能を使う、というのが一番聴きやすいということでした。
あとは、スロープチューン(590の場合はHI/SHIFT-LO/WIDTHツマミ)を使って、上下の音域をそれぞれ可変して帯域フィルタの幅を変えること、聴きにくい場合は狭めてみるというのは、物理的な狭帯域のフィルタを入れて帯域を絞るのと同じく、古典的ですが有効な方法でした。
私の耳と8年前の無線機の組み合わせだとこんな感じのようです。